鹿児島市民歌

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鹿児島市民歌

市歌の対象
鹿児島市

作詞 高城俊男
鹿児島市民歌制定委員会(補作)
作曲 中田喜直
採用時期 1972年6月15日[1]
言語 日本語
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鹿児島市民歌」(かごしましみんか)は、日本鹿児島県鹿児島市1972年昭和47年)に制定した市民歌である。作詞・高城俊男[2]、補作・鹿児島市民歌制定委員会、作曲・中田喜直

解説

鹿児島市では1926年大正15年)に市章を制定した際、市歌の制定についても検討されたがこの時は「制定しても頻繁に歌われるものではない」との否定的意見が大勢を占めて見送られた。それから46年後の1972年(昭和47年)、市内の鴨池陸上競技場を主会場とする第27回太陽国体の開催を記念して市民歌が制定されることになり、歌詞の懸賞公募を実施する[3]。応募総数は534篇で、制定委員会による審査を経て市内の小山田町に居住していた高城俊男(1916年 - 1997年)の応募作が採用され、中田喜直に作曲を依頼した[3]九州・沖縄地方県庁所在地において、鹿児島市の市民歌制定はいずれも戦前から市歌を制定していた那覇市熊本市長崎市福岡市大分市宮崎市に次ぎ8市中7番目であった[注 1]

制定意義は「鹿児島市民としての連帯感を高め、郷土に生きる喜びと将来の飛躍を象徴する歌」とされており1番で桜島、2番で錦江湾、3番で城山と市内の自然風景を取り上げているが、西郷隆盛を始めとした市にゆかりの人物を顕彰する要素は含まれていない[注 2]

制定時には市の制作によりソノシート規格品番:T-4820)が配布されたが、市役所で貸し出しを行っているCDを始め現行の音源はボニージャックスによるカバーが主に使われる。市では用途を「市役所の始業時や市主催の各種イベントなど」としている他[3]2004年平成16年)に編入合併された旧5町区域の支所を含めて正午防災無線で演奏を行っている[4]。鹿児島市に関連する楽曲としては市民歌の他に2019年令和元年)の市制施行130周年記念楽曲「未来へつなぐ鹿児島」(作曲・吉俣良)がある[5]

参考文献

  • 中山裕一郎 監修『全国 都道府県の歌・市の歌』(東京堂出版2012年) ISBN 978-4-490-20803-0

脚注

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注釈

  1. ^ このうち大分市と宮崎市の市歌は戦後に代替わりしている。昭和期に九州のみならず全国の都道府県庁所在地で1市だけ市歌を持たない状態であった佐賀市は市民愛唱歌「さがのうた」を1989年(平成元年)に制定したが、2005年(平成17年)の新設合併により失効状態となったまま廃止された。
  2. ^ なお作詞者の高城は本曲とは別に「西郷音頭」を作詞している。

出典

  1. ^ ○鹿児島市民歌制定について(鹿児島市例規集)
  2. ^ “鹿児島市民歌や多くの校歌を作詞…故高城俊男さんの業績しのぼう 没後25年、家族が情報提供呼びかけ”. 南日本新聞 (2022年10月31日). 2022年11月10日閲覧。
  3. ^ a b c 中山(2012), p419
  4. ^ 同報系デジタル防災行政無線の運用(鹿児島市)
  5. ^ 市テーマ曲「未来へつなぐ鹿児島」(鹿児島市)

関連項目

  • 鹿児島県の市町村歌一覧
  • 鹿児島県民の歌 - 1948年(昭和23年)制定。
  • 鶴岡市民歌 - 鹿児島市と鶴岡市は1969年(昭和44年)に「兄弟都市盟約」を締結しているが、1956年(昭和31年)に制定され2005年(平成17年)に新設合併で失効するまで歌い継がれた2代目市民歌は鹿児島と同じく中田喜直が作曲していた。

外部リンク

  • 鹿児島市民歌
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廃止・未制定
  1. 新設合併のため2005年に失効。
  2. 市民音頭「豊田音頭」、新民謡「豊田小唄」のみ選定。
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