飛鳥井雅典

 
凡例
飛鳥井 雅典
時代 江戸時代末期 - 明治時代
生誕 文政8年10月25日(1825年12月4日
死没 明治16年(1883年2月23日[1]
官位 正二位権大納言
主君 仁孝天皇孝明天皇明治天皇
氏族 飛鳥井家
父母 父:飛鳥井雅久、母:家女房
梅(花山院家厚の長女)
雅望、芳子、雅之、貞三、恒麿、勝道、生子、忠三郎
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飛鳥井 雅典(あすかい まさのり)は、江戸時代後期(幕末)から明治時代公卿歌人華族。官位は正二位権大納言従一位権大納言・飛鳥井家24代当主。先代飛鳥井雅久の子。飛鳥井家は和歌蹴鞠を家職とする一族。

経歴

幕末、廷臣八十八卿列参事件に加わったほか、武家伝奏を務めた文久3年(1863年)2月、国事御用掛となり、同年3月、賀茂社行幸に供奉し、翌月4月には岩清水行幸にも供奉した。同年8月18日の八月十八日の政変に際しては参内、他行、他人面会を停められたが、ほどなく赦されて朝議に復した。慶応2年(1866年)7月には大坂城に病臥中の徳川家茂見舞の勅使を勤め、同年12月には徳川慶喜将軍宣下に際して勅使としてこれを伝宣した。慶応3年(1867年)12月、王政復古の大号令によって 公武合体派として参朝を停められたが、翌明治元年(1868年)に明治天皇元服に際して赦されたが権大納言を辞任した。明治元年(1868年)9月および翌明治2年(1869年)3月の東京遷幸に供奉し、明治4年(1871年)11月には宮内省に出仕した。

明治7年(1874年)6月18日、隠居した[1]。明治16年(1883年)薨去、59歳。

系譜

  • 父:飛鳥井雅久
  • 母:家女房
  • 妻:梅(花山院家厚の長女)
    • 男子:飛鳥井雅望(1842-1906、飛鳥井家25代当主。1884年華族令により伯爵に列する[2])岳父に四条隆謌
    • 女子:飛鳥井芳子(永井直哉の妻)
    • 男子:藤枝雅之(1855-1922)
    • 男子:杉貞三(別名:基静、持明院基和の養子、後に離籍)
    • 男子:飛鳥井恒麿(1859年生。津守国美の養子となるも後に離籍し、没した兄雅望の家督を継いで1907年に飛鳥井家26代当主となり、雅望長男の雅広(1875年生)を引き取る[3]。長女は侯爵久我通久の養子となる[3]。二男の飛鳥井雅信は帝室林野局事務官、その弟の翠は日本防水布社長矢野丑乙の養子となり、妹登美は男爵北垣晋一(北垣国道の孫)の妻[4]。雅信の子に飛鳥井雅道
    • 男子:大谷勝道(大谷光勝の養子)
    • 男子:下山忠三郎(下山忠兵衛の養子)
    • 女子:飛鳥井生子(石田沢心の妻)

脚注

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  1. ^ a b 『平成新修旧華族家系大成』上巻, p. 31.
  2. ^ 飛鳥井雅望(読み)あすかい まさもちデジタル版 日本人名大辞典+Plus
  3. ^ a b 飛鳥井恒麿『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
  4. ^ 飛鳥井雅信『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]

参考文献

飛鳥井家第24代当主(1857年 - 1874年)
宗家
  1. 雅経
  2. 教定
  3. 雅有
  4. 雅孝
  5. 雅家
  6. 雅縁
  7. 雅世
  8. 雅親
  9. 雅俊
  10. 雅綱
  11. 雅春
  12. 雅敦
  13. 雅庸
  14. 雅胤
  15. 雅章
  16. 雅知
  17. 雅直
  18. 雅豊
  19. 雅香
  20. 雅重
  21. 雅威
  22. 雅光
  23. 雅久
  24. 雅典
  25. 雅望
  26. 恒麿
  27. 雅信
  28. 雅道
  29. 雅慶
庶流
教雅流
  1. 教雅
  2. 兼教
  3. 雅綱
  4. 教藤
  5. 教春
雅康流
  1. 雅康
  2. 頼孝
  3. 雅量
  4. 虎熊丸(以降鹿持家)
雅古流
  1. 雅古
  2. 雅四
  3. 雅仁
  4. 雅之
  5. 雅崇
分家
鹿持家
  1. 鹿持雅春
  2. 鹿持正知
  3. 鹿持雅房
  4. 鹿持雅武
  5. 鹿持雅澄
  6. 鹿持雅慶(以降改姓し雅古流)
柳村家
  1. 柳村安治
  2. 柳村惟恒
  3. 柳村惟政
  4. 柳村惟則
  5. 柳村雅君
藤枝家
  1. 藤枝雅之
  2. 藤枝雅脩
  3. 藤枝雅保