藤掛文平

藤掛 文平(ふじかけ ぶんぺい、1856年9月10日(安政3年8月12日[1]) - 1920年(大正9年)1月30日[2])は、明治から大正時代の政治家薬剤師衆議院議員

経歴

美濃国可児郡、のちの岐阜県可児郡兼山町(現可児市)出身[1][3]。東京薬学校を卒業し、薬剤師として薬種問屋および各種薬品の製造販売業を営む[2]

区長、戸長、岐阜県会議員を歴任した[2]。1902年(明治35年)8月の第7回衆議院議員総選挙では岐阜県郡部から出馬し当選[2]。衆議院議員を1期務めた[2]

脚注

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  1. ^ a b 衆議院事務局 1902, 14頁.
  2. ^ a b c d e 衆議院、参議院 1962, 430頁.
  3. ^ 児玉、藤田 1894, 82頁.

参考文献

  • 児玉九峯、藤田桜鉄『濃飛名誉人物評 上』濃飛名誉会、1894年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778583 
  • 『第十七回帝国議会 衆議院議員名簿』衆議院事務局〈衆議院公報第一号附録〉、1902年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900093/100 
  • 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3000139