福崎文吾

 福崎 文吾 九段
平成30年11月、姫路市で行われた人間将棋にて
名前 福崎 文吾
生年月日 (1959-12-06) 1959年12月6日(64歳)
プロ入り年月日 1978年10月11日(18歳)
棋士番号 135
出身地 大阪府守口市
所属 日本将棋連盟(関西)
師匠 田中魁秀九段
段位 九段
棋士DB 福崎 文吾
戦績
タイトル獲得合計 2期
一般棋戦優勝回数 1回
順位戦クラス B級1組(19期)
2024年4月11日現在
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福崎 文吾(ふくさき ぶんご、1959年12月6日 - )は、将棋棋士。田中魁秀九段門下。棋士番号は135。大阪府守口市出身。十段、王座のタイトル獲得歴がある。竜王戦1組通算10期。

棋歴

順位戦[注 1]第38期の初参加から連続の1期抜けで昇級を重ね、3期でB級1組[注 2]まで昇級した(加藤一二三中原誠二上達也に次いで史上4人目のスピード昇級)。

第25期十段戦では米長邦雄十段への挑戦を決め、これがタイトル初挑戦となった。当初は米長が圧倒的に有利とみられていたが、4-2で十段を奪取した。福崎は3局を穴熊で勝利し、米長はうち2局を相穴熊で戦ったが、及ばなかった。後にタイトル戦での思い出に残る対局として、この十段戦でタイトル奪取を決めた対局を挙げている。対局終了後、タイトルを奪われた米長の意外な行動について、福崎は以下のように述べている。「このとき、ありえないようなことが…。対局後、僕のところに米長先生がつかつかと歩み寄ってきて、花束をくれたんですよ。『おめでとう』といって。びっくりしました。タイトルを失うと収入がガタ落ちするんですよ。それなのに、奪い取った相手に花束をくれる。その感激は一生忘れませんね」[1]

1987年3月に終えた第45期順位戦では十段のタイトルを保持したまま、順位戦B級1組から降級した。このとき高橋道雄王位・棋王、中村修王将(タイトルは当時)もB級2組におり、翌期はタイトル保持者3人がB級2組に在籍する極めて珍しい事態となったが、福崎は早くも翌期の第46期順位戦でB級1組復帰を決めた。第51期順位戦ではB級1組で羽生善治を破り、羽生にとっては同期B級1組順位戦唯一の黒星となった。以後、第60期順位戦までB級1組に在籍した。

第26期十段戦では高橋道雄を挑戦者に迎えたが、0-4で失冠。高橋の矢倉に対抗して、全局を相矢倉で戦った。まずは矢倉で1勝してから、穴熊を使う予定だったという。以降も高橋には非常に相性が悪く、十段失冠以降全く勝てていない。2019年現在、高橋に21連敗中である。

第39期王座戦谷川浩司から3-2で王座を奪取。最初に福崎が2勝するも、谷川が2勝を返して迎えた最終局で、福崎が千日手指し直しの末に勝利した。このタイトルは翌期の第40期王座戦羽生善治に0-3で奪われ、その後羽生は王座のタイトルを19期に渡り保持し続ける事となる。いつしか「福崎は前王座を19連覇中」「福崎文吾名誉前王座」とのジョークまで生まれ、本人もネタとして使っていた[2]。第59期での羽生の失冠に伴い、福崎が「前王座」と以前ほど呼ばれる事も無くなったが、一部では現在も「名誉前々王座」などと呼ばれる。

タイトル在位歴があり、段位も九段なのにA級経験がない[注 3]という、やや珍しいケースである。2021年現在「タイトル在位歴はあるが、A級経験がないまま引退した」棋士はおらず、2021年にフリークラスに転出した福崎がこのまま引退すると、史上初の例となる。2022年度は0勝10敗で全棋戦で初戦敗退した[3]。複数タイトル経験者の年度全敗は2016年度全敗(0勝20敗)の加藤一二三以来である。

棋風

  • 振り飛車穴熊を得意とし、相手の意表をつく手順で相手を幻惑し、「妖刀」の異名を持つ。
  • 第23期十段リーグで谷川浩司を得意の振り飛車穴熊で破ったとき、当時若くして名人であった谷川をもってして「感覚を破壊された」と言わしめたことがある。
  • 坂田三吉の将棋を全局並べた数少ない棋士の一人である。

人物・嗜好など

  • 関西本部所属。関西弁での笑いを前面に押し出した解説は人気があり、大盤解説などにもよく登場する。ただかつては今と違い、近づきがたい雰囲気を放っていたと小林健二が語っている。
  • 夫人は元女流棋士の福崎睦美(旧姓、兼田)。
  • 若手時代、瀬戸内海の小島で居住していたころがあり、その後に大阪在住にもどった後、B1クラスに上った[4]
  • 実はゲーマーでもある。若い頃には妻から「クーラーを買ってきて」と現金を渡されたが、デパートで見かけたパソコンゲームに嵌り、持っていた現金も何のためのものかすっかり忘れてパソコンを衝動買いしてしまい、妻にひどく怒られたこともある[5]。2017年頃からゲーマーの側面がメディアでも取り上げられるようになり、ニコニコ生放送でゲーム実況の番組が企画されるほどになっている[6]

エピソード

2023年10月12日に行われた達人戦立川立飛杯予選で、午前10時から行われた増田裕司との予選4組準決勝の対局に勝利し、同日午後2時からは予選4組決勝を阿部隆と対局する予定だったが、この日の対局が1局のみと勘違いして帰宅してしまった。午後2時過ぎに自宅でスマホを見たところ午後の対局があることに気付いたが、持ち時間の1時間以内に到着できない状態だったため、電話でその旨を日本将棋連盟関西支部に連絡し、予選4組決勝の対局は不戦敗となった[7]

昇段履歴

  • 1975年00月00日 : 5級 = 奨励会入会
  • 1976年00月00日 : 初段
  • 1978年10月11日 : 四段 = プロ入り
  • 1980年04月01日 : 五段(順位戦 昇降級リーグ3組<C級1組>昇級、通算34勝10敗)
  • 1981年04月01日 : 六段(順位戦 昇降級リーグ2組<B級2組>昇級、通算62勝28敗)
  • 1982年04月01日 : 七段(順位戦 昇降級リーグ1組<B級1組>昇級、通算85勝43敗)
  • 1990年03月26日 : 八段(勝数規定 /七段昇段後公式戦190勝、通算275勝211敗)
  • 2005年10月28日 : 九段(勝数規定 /八段昇段後公式戦250勝、通算525勝495敗)

主な成績

獲得タイトル

  • 十段 1期(第25期)
  • 王座 1期(第39期)
登場回数4回 獲得合計2期

一般棋戦優勝

優勝合計 1回

在籍クラス

竜王戦と順位戦のクラスについては「将棋棋士の在籍クラス」を参照
順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
(出典)
(出典)竜王戦
(出典)
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
1979 38 C225
1980 39 C115
1981 40 B218
1982 41 B112
1983 42 B108
1984 43 B107
1985 44 B102 (第25期十段位獲得)
1986 45 B110 (竜王戦 棋戦創設前)
1987 46 B203 1 1組 --
1988 47 B112 2 1組 --
1989 48 B109 3 1組 --
1990 49 B106 4 1組 --
1991 50 B110 5 1組 --
1992 51 B106 6 1組 --
1993 52 B102 7 1組 --
1994 53 B107 8 1組 --
1995 54 B106 9 1組 --
1996 55 B103 10 1組 --
1997 56 B105 11 2組 --
1998 57 B105 12 2組 --
1999 58 B107 13 2組 --
2000 59 B110 14 3組 --
2001 60 B111 15 3組 --
2002 61 B202 16 3組 --
2003 62 B212 17 3組 --
2004 63 B210x 18 3組 --
2005 64 B222* 19 3組 --
2006 65 B216*x 20 3組 --
2007 66 C102 21 4組 --
2008 67 C122 22 4組 --
2009 68 C123 23 4組 --
2010 69 C122x 24 4組 --
2011 70 C132* 25 4組 --
2012 71 C127* 26 4組 --
2013 72 C122+ 27 4組 --
2014 73 C112 28 4組 --
2015 74 C125 29 4組 --
2016 75 C126 30 5組 --
2017 76 C124x 31 6組 --
2018 77 C137*x 32 6組 --
2019 78 C204x 33 6組 --
2020 79 C248*x 34 6組 --
2021 80 F宣 35 6組 --
2022 81 F宣 36 6組 --
2023 82 F宣 37 6組 --
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

将棋大賞

  • 07回(1979年度) 新人賞・勝率第一位賞
  • 第14回(1986年度) 殊勲賞

その他表彰

著書

  • 振り飛車穴熊戦法 軽快にバランスよく攻める(2002年11月、創元社、ISBN 4-422-75084-4)

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 福崎初参加時は「昇降級リーグ」。
  2. ^ 当時は「昇降級リーグ1組」。
  3. ^ 同じ立場の現役棋士では他に中村修がいる。また、A級在位歴・竜王戦1組在籍歴があるものの、タイトル戦登場および挑戦者決定戦も経験が無いという、逆の立場の棋士には井上慶太がいる

出典

  1. ^ “【新・関西笑談】将棋・福崎文吾九段(3)敵に塩…米長先生から花束、谷川先生からお茶いただいて…忘れられないタイトル戦に”. 産経新聞社. 2016年7月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月3日閲覧。
  2. ^ 名誉前王座 - 将棋ペンクラブログ・2011年4月14日
  3. ^ 『将棋世界』2023年6月号、『カラー プロ棋士名鑑』2023年など
  4. ^ 『勝負の世界 将棋VS囲碁 対談五番勝負』(毎日コミュニケーションズ)P.92
  5. ^ 福崎文吾七段(当時)と百貨店 - 将棋ペンクラブログ・2017年8月29日
  6. ^ 福崎文吾九段が「DARK SOULS」を実況プレイ生放送 - ニコニコインフォ・2018年3月30日
  7. ^ “福崎文吾九段、達人戦で「1局だけと思い」帰宅して不戦敗に…相手の阿部九段に「申し訳ない」”. 読売新聞. (2023年10月12日). https://www.yomiuri.co.jp/igoshougi/20231012-OYT1T50221/ 2023年10月12日閲覧。 
  8. ^ 福崎文吾九段が600勝(将棋栄誉賞)を達成!(日本将棋連盟) 日本将棋連盟 将棋ニュース 2012年03月09日

関連項目

外部リンク

  • 日本将棋連盟プロフィール
  • ふくちゃん (@kysrin) - X(旧Twitter)
日本将棋連盟所属棋士 (現役棋士 および 2024年度引退棋士)
タイトル
保持者

永世称号 襲位者0
永世称号 有資格者

九段
八段
七段
六段
五段
四段
2024年度
引退棋士
 九段  青野照市(2024年6月13日引退)
 七段  伊奈祐介(2024年5月10日引退)
2024年6月13日時点 / 日本将棋連盟所属 / は2024年度の昇段 / 引退棋士の()は引退日 / 詳細は将棋棋士一覧を参照
第37期竜王戦ランキング戦
竜王
1組
(定員16名)
2組
(定員16名)
3組
(定員16名)
4組
(定員32名)
5組
(定員32名)
6組
(参加70名)
女流棋士
アマチュア
  • 慶田義法アマ
  • 竹内広也アマ
  • 小林康太郎アマ
  • 中川慧梧アマ
  • (出場4名)
奨励会員
次期から出場
★挑戦者 / △次期昇級 / ▼次期降級 / 初参加棋士(棋士として初参加) / 詳細については将棋棋士の在籍クラスを参照。
名人
A級
B級1組
B級2組
C級1組
C級2組
フリー
クラス
宣言
棋戦限定
出場

2024年度
引退者

先頭の数字は順位(名人、フリークラス以外)/ フリークラスの数字は在籍可能残り年数(2024年度開始時点)
B級2組 - C級2組の * は降級点の数(B級2組・C級1組は降級点 2で降級、C級2組は降級点 3で降級)
詳細については将棋棋士の在籍クラスを参照
 
タイトル(2冠)2期
王座 1期
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
永世資格者
名誉王座
第30期までは一般公式棋戦
若獅子戦 優勝 1回
優勝者
関連項目
四段以上の棋士で年齢の若い順に13人を選抜して参加。1991年(第14回)で終了。
 
将棋大賞
新人賞 受賞 1回
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
前年度の活躍が対象
殊勲賞 受賞 1回
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
第32回(2005年)で廃止。前年度の活躍が対象。
勝率一位賞 受賞 1回
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
前年度の活躍が対象
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