日本とオマーンの関係 (アラビア語 : العلاقات اليابانية العمانية 、英語 : Japan–Oman relations ) では、日本 とオマーン の関係について概説する。
両国の比較 歴史 駐日オマーン大使館 (東京 ) オマーン大使館正面玄関 表札と門 オマーン を最初に訪れた日本人は地理学者志賀重昂 である。彼は中東 の石油 事情やイスラエル ‐アラブ 情勢を知る為に中東各国を歴訪しマスカット にも滞在。イギリス の保護国であったオマーンの当時の国王・タイムール・ビン・ファイサル に謁見している[7] 。これが明確に記録に残る両国最初の接触で、志賀が謁見したタイムール・ビン・ファイサル はその後退位すると来日して神戸 で日本人女性・大山清子と結婚、ブサイナ・ビント・タイムール 王女をもうけている[8] 。
なお、それ以前にも安土桃山時代 から江戸時代 初期に活躍した日本人キリスト教司祭ペトロ岐部 が、ローマ やエルサレム に向かう途中に日本人として初めてマスカット に立ち寄った可能性を指摘されている[9] 。実際にペトロ岐部 はオマーン湾 からペルシャ湾 へと入りイラク に上陸してエルサレム を目指しており、オマーンのすぐそばを通過している[10] 。
本格的に両国間の交流が始まったのは1971年のオマーン独立と同時の国家承認、そして1972年5月の外交関係樹立からである。1980年10月には在サウジアラビア大使が兼任する形で在サウジアラビア日本国大使館 がオマーンの兼轄を開始して、1983年3月からは独自の在オマーン大使が任命されてマスカットに在オマーン日本国大使館 が設置された。一方、オマーンは1979年4月に東京 に在日オマーン大使館 を開設している[3] 。
その後は友好的な関係が続いており、親日国として知られる。2011年3月の東日本大震災 に際しては、当時国王であったカーブース・ビン・サイード やハイサム・ビン・ターリク・アール=サイード 、副首相ファハドを始めとするオマーン要人が総理大臣 (当時)菅直人 や外務大臣 松本剛明 にお見舞いの書簡やメッセージを送ったほか、我が国に対するLNG の追加供給や1000万米ドル(約8億円)の義援金を提供した[11] 。また、オマーンの王族系の企業から迅速な支援のために福島県 南相馬市 の落合工機に26億円相当の発注がされて話題となった[12] 。
現況 2014年1月には総理大臣 として初めて安倍晋三 がオマーンを訪問。カーブース・ビン・サイード 国王と首脳会談 を実施して、シリア 情勢や北朝鮮核問題 について意見交換がなされたほか、「日本とオマーン国との間の安定と繁栄に向けた包括的パートナーシップの強化に関する共同声明」が発出された[13] 。この共同声明では、政治・安全保障・経済・文化などあらゆる面での二国間協力の促進が明記されている[14] 。続く2020年1月にも安倍晋三 はオマーンを訪問して新国王ハイサム・ビン・ターリク・アール=サイード と首脳会談を実施。前国王の崩御に弔意を伝えるとともに、協力関係の維持が確認された[15] 。
経済関係としては、日本は2010年までに累計150億円以上の開発援助 を実施。研修員受入558人、専門家派遣158人、調査団派遣1250人、開発調査も36件に上るなど、日本はオマーンにとって重要な援助国となっている。また、オマーンにとっての輸出の主要貿易相手国は中国 や韓国 、そして日本 であり、石油 や天然ガス を日本に供給している[3] 。また、油田 に関連して日本の住友商事 はオマーンの油ガス田から発生する随伴ガスを使った水素製造の事業化に着手しているなど、日本企業の進出も多い[16] 。一方で日本は自動車 製品などをオマーンに輸出[3] 。
文化的な繋がりとして、マスカット では「オマーン・日本友好協会[17] 」が日本語教育 などの活動を続けている。一方で日本には「日本オマーン協会」が設立されており、親日国でありながらも知名度や親しみが薄い現状を改善する為、異文化交流を中心に活動を展開している[18] 。また。2001年にはマスカット近郊のナシーブ・マスカット公園の敷地にオマーン平安日本庭園 が開園した。GCC諸国では最初の日本庭園 である[19] 。このように日本の伝統文化もオマーンでは注目を集めつつあり、2011年9月には日本人女性書道家・矢部澄翔がオマーンを訪問、18の学校や機関で書道の指導やパフォーマンスを行った[20] 。2022年11月に国交樹立50周年を記念してオマーンで開催された軍楽祭に陸上自衛隊の音楽隊が出演し、9000人の聴衆の前で和服姿の女子隊員が歌唱して好評を博した[21] 。
外交使節 駐オマーン日本大使 駐日オマーン大使 ダーウード・ビン・ハムダーン・ビン・アル・ハムダーン(1989年以前[22] [23] ~1990年[24] ) ムハンマド・ビン・アリ・ビン・サーニ・アル・クサイビ(1992~2000年、信任状捧呈は4月6日[25] ) ムハンマド・ビン・ユーセフ・アル・ザラーフィ(2000~2007年、信任状捧呈は12月13日[26] ) (臨時代理大使 )ハマメッド・サイド・アリ・アルアラウイ(2007~2008年) ハリッド・ビン・ハシル・ビン・モハメッド・アル・ムスラヒ(2008~2018年、信任状捧呈は2月8日[27] ) (臨時代理大使)マナ・サイド・オマール・アル・カシリ(2018年) モハメッド・サイード・ハリファ・アル・ブサイディ(2018年~、信任状捧呈は12月26日[28] ) 脚注 ^ 世界銀行 Population, total - Oman ^ 世界銀行 Population, total - Japan ^ a b c d オマーン国( Sultanate of Oman)基礎データ外務省 ^ 日本の統計2016 第1章~第29章 | 総務省統計局 ^ 世界銀行 GDP (current US$) - Oman ^ The World Bank GDP (current US$) - Japan ^ 4.二国間関係在オマーン日本国大使館 ^ 遠藤晴男『オマーン見聞録』(展望社, 2009年4月) ^ 松永伍一『ペトロ岐部—追放・潜入・殉教の道』中公新書(1984年) ^ 福者ペトロ・カスイ岐部神父 - カトリック中央協議会 ^ オマーン政府からの義捐金の寄付外務省 ^ 福島第一原発事故-屋内退避範囲内の南相馬市に所在する落合工機にオマーンの企業から26億円分の浄水器などの大量発注世界の水事情 ^ 安倍総理大臣のオマーン訪問(概要と成果)外務省 ^ 日本国とオマーン国との間の安定と繁栄に向けた包括的パートナーシップの強化に関する共同声明(和文仮訳) ^ カブース・オマーン前国王の崩御を受けた安倍総理大臣によるハイサム国王弔問外務省 ^ 住商、オマーン油田で水素製造検討 現地石油会社と ^ Oman Japan Friendship Association ^ 日本オマーン協会のミッション日本オマーン協会 ^ 綜合庭園研究室「オマーン平安日本庭園」『ランドスケープデザイン』マルモ出版、2002年 ^ 【2011 OMAN本編】書道家 矢部澄翔 世界書紀行 in OMAN 本編~World Calligraphy Paformance~ ^ “陸自西部方面音楽隊初のソプラノ歌手”. 時事通信社. (2022年11月30日). https://www.jiji.com/jc/movie?p=j002388 2022年12月2日 閲覧。 ^ List of Official Mourners Representing Foreign Countries and International Organizations at the Funeral Ceremony of Emperor Showa | Diplomatic Bluebook 1989 (英語) ^ Foreign Representatives, Heads of Missions and Accompanying Persons at the Ceremony of the Enthronement of the Emperor at the Seiden | Diplomatic Bluebook 1991 (英語) ^ ご引見(平成2年) - 宮内庁 ^ 信任状捧呈式(平成4年) - 宮内庁 ^ 信任状捧呈式(平成12年) - 宮内庁 ^ 外務省: 新任駐日オマーン国大使の信任状捧呈について ^ 駐日オマーン大使の信任状捧呈 | 外務省 参考文献 オマーン国( Sultanate of Oman)基礎データ外務省 松尾昌樹著・編『オマーンを知るための55章 』(エリア・スタディーズ163)2018/2/28 関連項目 外部リンク 在オマーン日本国大使館、同 (英語) 駐日オマーン大使館 (英語) アジア
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