マット・ホリデイ

マット・ホリデイ
Matt Holliday
セントルイス・カージナルスでの現役時代
(2013年9月14日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 オクラホマ州スティルウォーター
生年月日 (1980-01-15) 1980年1月15日(44歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
250 lb =約113.4 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1998年 MLBドラフト7巡目
初出場 2004年4月16日
最終出場 2018年10月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
WBC 2006年
この表について
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プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

マシュー・トーマス・ホリデイMatthew Thomas Holliday, 1980年1月15日 - )は、アメリカ合衆国オクラホマ州スティルウォーター出身の元プロ野球選手外野手)。右投右打。

経歴

プロ入り前

1980年1月15日にアメリカ合衆国オクラホマ州スティルウォーターで誕生した。父のトム・ホリデイはカレッジベースボールの強豪校として知られるオクラホマ州立大学でかつてヘッドコーチをしており、叔父のデーブ・ホリデイはコロラド・ロッキーズのスカウト、兄のジョシュ・ホリデイ(英語版)1999年MLBドラフト9巡目(全体283位)でトロント・ブルージェイズから指名されてプロ入りするなど、ホリデイ家は "野球一家"だった。スティルウォーター高等学校(英語版)に在学中、野球とアメリカンフットボールの両方で活躍した。アメリカンフットボールのクォーターバックとしてオクラホマ州立大学へ進学する予定だった。

プロ入りとロッキーズ時代

1998年MLBドラフト7巡目(全体210位)でロッキーズから指名され、野球のプロ選手の道へ進む。その時の契約金は7巡目指名ながら840,000ドル。さらに7年分の年俸保証700,000ドルという条件も付いていた。

打席に立つホリデイ

マイナーリーグでは三塁手としてプレイしていたが、2001年に右肘を傷めてトミー・ジョン手術をし、その後は左翼手に転向した。

2004年4月16日のセントルイス・カージナルス戦で、メジャーデビューを果たし、その試合では3打数無安打に終わった。しかしこの年は計121試合に出場し、打率.290・14本塁打・57打点を記録、新人王投票でも5位に入った。

2005年は前年とほぼ同じ125試合出場ながら、打撃3部門全てで1年目を上回る成績を記録。さらに俊足も発揮し、14盗塁を記録した。

2006年シーズン開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)アメリカ合衆国代表に選出された。

シーズンでは自身初の30本塁打・100打点など前年を上回る成績を残した。オールスターにも初選出された。

2007年に自己最高のシーズンを送る。開幕直後は5番打者として、5月に入ると3番打者として出場。ほとんどの記録でキャリアハイを更新し、打率・打点・安打二塁打塁打の5部門でリーグ1位となった。9月にはホリデイが月間MVPを受賞する活躍をすると、その間にチームは11連勝を含む20勝8敗を記録し、レギュラーシーズン終了時点でナ・リーグ西地区で2位のパドレスと並んだ。ポストシーズン進出を賭けたパドレスとのワンゲーム・プレーオフで6打数2安打2打点を記録、そしてロッキーズは延長13回に2点差を逆転するサヨナラでパドレスに勝利しプレーオフ進出を果たした。ホリデイ自身も2打点を上げたことでライアン・ハワードを逆転し、打点王を獲得。このことはワンゲーム・プレーオフがレギュラーシーズンに含まれる制度による恩恵を受けた例として取り上げられる。さらに首位打者にも輝き、MVP投票ではジミー・ロリンズに次ぐ2位だった。

2008年1月18日に2年契約総額2300万ドルでロッキーズと契約延長した[1]。5月25日、左ハムストリングを痛めたことによりホリデイは6月10日まで故障者リスト入りすることになった[2][3]。7月6日、ホリデイは3年連続でオールスターゲームに選出された[4][5]。ファン選出されたアルフォンソ・ソリアーノが故障したことにより、先発出場することになった[6]当日のオールスターゲームでは右翼手として出場し、この試合の初得点となるソロ本塁打を放った[7]。この年は故障者リストに入っていたこともあって過去2年より少ない139試合出場に終わった。成績は打率.321、173安打、25本塁打、88打点、107得点、290塁打を記録した。この活躍が認められ3年連続でシルバースラッガー賞を受賞し[8]、28盗塁と出塁率.409はキャリアハイだった。盗塁はこの年の左翼手ではメジャー3位、出塁率は同じく左翼手でメジャー2位だった[9]

アスレチックス時代

2008年11月14日ヒューストン・ストリートグレッグ・スミス(英語版)、カルロス・ゴンザレスとの1対3のトレードによりオークランド・アスレチックスへ移籍した[10]

2009年は4月の打率が.240と低迷していたが、7月には打率が2割8分まで上昇した。しかし、チームは地区最下位に低迷し、ホリデイはラジオのインタビューで、「またプレーオフでプレーしたい。もしこのチームで不可能なら僕の代わりにいい選手を獲ってもらいたい。それによって僕がプレーオフの可能性のある球団でプレーできるなら問題ない」とトレードを容認する発言をした[11]

カージナルス時代

2009年7月24日にブレット・ウォレスクレイトン・モーテンセンシェーン・ピーターソンに加えアスレチックスが150万ドルを負担する3対1のトレードで、カージナルスへ移籍した[12]

カージナルス移籍後、63試合の出場で打率.353、13本塁打、55打点を記録し、チームはホリデイ移籍後、39勝25敗を記録し、3年ぶりに地区優勝を果たした。しかし、ロサンゼルス・ドジャースとのディビジョンシリーズでは打率.167(12打数2安打)と低迷し、チームも3連敗で敗れ、シーズンを終えた。シーズン終了後、FAとなり、代理人のスコット・ボラスマーク・テシェイラの8年総額1億8,000万ドル規模の契約を要求したが[13]2010年1月7日にカージナルスと7年総額1億2,000万ドル、8年目は1700万ドルの球団オプションの契約に合意。アルバート・プホルスの7年総額1億ドルを上回る球団史上最高額の契約となった[14]

2010年は4月に5試合連続無安打の時期があったものの、それ以降は波なく好成績を残した。打率.312、OPS.922をマークし、守備でもDRSで+ 7、補殺は8つを記録した。

2011年は怪我に苦しんだシーズンとなった。まず開幕直後に盲腸炎となり1週間欠場。6月には左の大腿四頭筋の炎症で半月欠場。9月中旬には左手中指の腱に炎症が出て10日間欠場した。しかし5月6日まで4割を維持するなど成績自体は例年並みで、打率、出塁率、長打率は微減に留まった。また、自身初のワールドシリーズ制覇を経験した。

2012年は、目立った怪我もなく一定の成績を残したが、自己ワーストの132三振、盗塁成功率50%など、精彩を欠いた面もあった。

2013年、打率.300、22本塁打、94打点という打撃成績をマークしたほか、103得点と6盗塁を記録した。打率が3年ぶりに.300の水準に回復し、得点が100を超えたのは実に5年ぶりの事だった。盗塁成功率は86%を誇り、数こそ少なかったものの高い盗塁技術を見せた。一方で、リーグ最多の31併殺打を献上し、DRS- 13という始末だった。

2014年、156試合に出場して打率.272、20本塁打、90打点という成績を残した。9年連続で20本塁打以上をクリアし、打点は3年連続で90打点以上を達成。2011年以降マイナス続きだった守備防御点は±0で久々にマイナスを回避したが、失策は自己ワーストタイの7つだった。

2015年は好調を維持し、オールスターゲームにも選出されたが、故障の為に出場辞退した[15]。故障の影響もあって73試合の出場に留まり、ルーキーイヤー以来となる規定打席未達に終わった。打率.279、4本塁打、35打点という成績だった。

2016年11月3日にFAとなった[16]

ヤンキース時代

2016年12月7日にニューヨーク・ヤンキースと1年1300万ドルで契約した[17]

2017年4月8日のボルチモア・オリオールズ戦でケビン・ゴーズマンから通算2000本安打を記録した[18]。5月4日のトロント・ブルージェイズ戦でマーカス・ストローマンから通算300本塁打を記録した[19]。オフの11月2日にFAとなった[20]

ロッキーズ復帰

2018年7月29日に古巣のロッキーズとマイナー契約を結んだ[21]。8月23日にメジャー契約を結び、アクティブ・ロースター入りした[22]。オフの10月29日にFAとなった[16]

引退後

2022年には息子のジャクソン・ホリデイMLBドラフト1巡目(全体1位)でボルチモア・オリオールズから指名され、プロ入りした[23]。シーズンオフの11月6日にカージナルスのベンチコーチ就任のニュースが発表されたが[24]2023年1月12日に家庭の事情により辞退することが報じられた(代わって前年までシカゴ・ホワイトソックスでコーチを務めたジョー・マクユーイングが就任)[25]

選手としての特徴

打撃センスには天性のものがあり、ロッキーズ時代はトッド・ヘルトンに代わって主砲の地位を揺るぎないものにした。監督を務めたクリント・ハードルがホリデイのことを「パワーを備えた巧打者」と称しているように、パワーヒッターでありながら安定したバットコントロールを兼ね備えている。広角に打球を打ち分けることで安打を量産し、長打になるほどその傾向が強まるという特徴を持っている[26]

ロッキーズ時代のホリデイの打撃成績は、「極端な打者有利」とされる本拠地球場クアーズ・フィールドとその他の球場では大きな差があった。以下に、本拠地とその他の球場での打撃成績[27]を表にして示す。数字は2007年までのもの。






























O
P
S
本拠地 286 1067 223 388 83 14 69 706 248 18 8 0 5 93 6 25 176 35 .364 .662 .425 1.087
その他 273 1050 149 287 67 7 34 470 147 20 7 1 7 84 5 13 225 30 .273 .448 .333 .781

それでもFOXSportsが「本拠地のアドバンテージを抜きにしても、ホリデイは(2008年1月時点で)メジャーで一番多くの得点を生み出す左翼手である」と、その打力を評価した[28]通り、カージナルス移籍後もハイレベルな成績を維持している。

巨体に似合わず走塁面でも高い能力を秘めており、5年連続で2ケタ盗塁を記録している。守備面では守備範囲が狭く、粗さが目立つが、年々失策は減少傾向にある(7→7→6→3)。2007年は守備率メジャー1位、最少チーム失策数を記録したチームの守備陣の一人としてリーグ優勝に貢献した。

人物・エピソード

慎ましい性格で知られ、その謙虚な姿勢からファンやチームメイトの信頼は厚い。2007年のリーグチャンピオンシップシリーズでMVPを受賞した際にも「この賞はおれのものではない。みんながもらうべき。25等分できたらいいのに」と語っている[29]。またホーム試合には自身の子供を連れていき、試合後は一緒に室内打撃練習場に行くという微笑ましい光景がよく見られた[26]

2012年1月には、ドラフトの上位指名4選手に直接メールを送り、セントルイスに招待した。交通費とホテル代はホリデイが持ち、昼は一緒にトレーニング。夜は自宅に招いて妻の手料理をご馳走したり、ホッケーの試合を観戦したり、デビッド・フリースマット・カーペンターを紹介するなどして交流を深めた。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2004 COL 121 439 400 65 116 31 3 14 195 57 3 3 1 1 31 0 6 86 9 .290 .349 .488 .837
2005 125 526 479 68 147 24 7 19 242 87 14 3 0 4 36 1 7 79 11 .307 .361 .505 .866
2006 155 667 602 119 196 45 5 34 353 114 10 5 0 3 47 3 15 110 22 .326 .387 .586 .973
2007 158 713 636 120 216 50 6 36 386 137 11 4 0 4 63 7 10 126 23 .340 .405 .607 1.012
2008 139 623 539 107 173 38 2 25 290 88 28 2 0 2 74 6 8 104 9 .321 .409 .538 .947
2009 OAK 93 400 346 52 99 23 1 11 157 54 12 3 0 2 46 3 6 58 8 .286 .378 .454 .831
STL 63 270 235 42 83 16 2 13 142 55 2 4 0 5 26 5 4 43 5 .353 .419 .604 1.023
'09計 156 670 581 94 182 39 3 24 299 109 14 7 0 7 72 8 10 101 13 .313 .394 .515 .909
2010 158 675 596 95 186 45 1 28 317 103 9 5 0 2 69 10 8 93 13 .312 .390 .532 .922
2011 124 516 446 83 132 36 0 22 234 75 2 1 0 2 60 4 8 93 21 .296 .388 .525 .912
2012 157 688 599 95 177 36 2 27 298 102 4 4 0 5 75 3 9 132 16 .295 .379 .497 .877
2013 141 602 520 103 156 31 1 22 255 94 6 1 0 4 69 5 9 86 31 .300 .389 .490 .879
2014 156 667 574 83 156 37 0 20 253 90 4 1 0 2 74 4 17 100 20 .272 .370 .441 .811
2015 73 277 229 24 64 16 1 4 94 35 2 1 0 3 39 5 6 49 9 .279 .394 .410 .804
2016 110 426 382 48 94 20 1 20 176 62 0 0 0 1 35 1 8 71 9 .246 .322 .461 .782
2017 NYY 105 427 373 50 86 18 0 19 161 64 1 0 0 5 46 0 3 114 14 .231 .316 .432 .748
2018 COL 25 65 53 3 15 2 0 2 23 3 0 0 0 0 12 0 0 18 0 .283 .415 .434 .849
MLB:15年 1903 7981 7009 1157 2096 468 32 316 3576 1220 108 37 1 45 802 57 124 1362 220 .299 .379 .510 .889
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

  • 首位打者:1回(2007年)
  • 打点王:1回(2007年)

表彰

記録

背番号

  • 5(2004年 - 2009年途中)
  • 15(2009年途中 - 同年終了)
  • 7(2010年 - 2016年、2018年)
  • 17(2017年)

代表歴

脚注

  1. ^ Thomas Harding (2008年1月18日). “Holliday, Rockies agree to new contract”. MLB.com. 2016年12月8日閲覧。
  2. ^ Rockies add Holliday to DL - The Denver Post
  3. ^ ESPN - Holliday comes off disabled list, Tulowitzki, Barmes improving - MLB
  4. ^ Cook, Holliday are All-Stars - The Denver Post
  5. ^ Hurdle has winning on his agenda : Rockies : The Rocky Mountain News
  6. ^ ESPN - Holliday to replace Soriano in NL All-Star lineup - MLB
  7. ^ ESPN - National League All-Stars vs. American League All-Stars - Recap - July 15, 2008
  8. ^ Robert Falkoff (2008年11月13日). “It's silver and gold for talented quartet”. MLB.com. 2016年12月8日閲覧。
  9. ^ MLB Player Batting Stats: 2008 - Stolen Bases - LF
  10. ^ Barry M. Bloom (2008年11月12日). “Rockies, A's complete Holliday deal”. MLB.com. 2016年12月8日閲覧。
  11. ^ 小林信行 「MLB30球団レポート&全選手個人成績 オークランド・アスレチックス/OAK ホリデイがラジオでトレードを希望?」 『月刊スラッガー』2009年8月号、日本スポーツ企画出版社、2009年、雑誌15509-8、70頁。
  12. ^ Matthew Leach (2009年7月24日). “Cardinals acquire Holliday from A's Prospects Wallace, Mortensen, Peterson shipped to Oakland” (英語). MLB.com. 2016年12月8日閲覧。
  13. ^ Jerry Crasnick (2009年11月10日). “Boras compares Holliday, Teixeira” (英語). ESPN. 2010年3月13日閲覧。
  14. ^ Matthew Leach (2010年1月7日). “Holliday party: Cards introduce slugger” (英語). MLB.com. 2016年12月8日閲覧。
  15. ^ Jenifer Langosch (2015年7月14日). “Holliday expects to return to lineup on Friday Outfielder tests injured quad during batting practice for All-Star Game” (英語). MLB.com. 2016年2月3日閲覧。
  16. ^ a b MLB公式プロフィール参照。2019年4月4日閲覧。
  17. ^ Bryan Hoch (2016年12月7日). “Holliday ready to rip for Yankees in any role” (英語). MLB.com. 2016年12月8日閲覧。
  18. ^ “Holliday 2K: Veteran collects milestone hit” (英語). MLB.com (2017年4月8日). 2017年5月1日閲覧。
  19. ^ “Holliday hits 3-run blast for 300th career HR” (英語). MLB.com (2017年5月4日). 2017年5月20日閲覧。
  20. ^ “Key free agents for all 30 MLB teams” (英語). MLB.com (2017年11月5日). 2017年12月30日閲覧。
  21. ^ Thomas Harding (2018年7月29日). “Rockies bring back Holliday on Minors deal” (英語). MLB.com. 2018年8月24日閲覧。
  22. ^ Owen Perkins (2018年8月23日). “Holliday homecoming: Vet returns to Rockies” (英語). MLB.com. 2018年8月24日閲覧。
  23. ^ “Orioles sign first overall Draft selection Jackson Holliday” (英語). MLB.com (2022年7月27日). 2023年2月13日閲覧。
  24. ^ Simon Hampton (2022年11月6日). “Matt Holliday Returns To Cardinals As Bench Coach” (英語). MLB Trade Rumors. 2023年2月13日閲覧。
  25. ^ Steve Adams and Darragh McDonald (2023年1月12日). “l Matt Holliday Resigns As Cardinals’ Bench Coach; Joe McEwing Hired As Replacement” (英語). MLB Trade Rumors. 2023年2月13日閲覧。
  26. ^ a b 菊地慶剛 (2007年9月25日). “慎ましいロッキーズのスラッガー”. Sports Graphic Number Web. 文藝春秋社. 2016年12月8日閲覧。
  27. ^ "Matt Holliday Career Batting Splits," Baseball-Reference.com. 2008年1月26日閲覧。
  28. ^ Dayn Perry, "A position-by-position look at MLB's best," FOXSports.com, 2008年1月19日。 2008年1月26日閲覧。(2008年1月21日時点のアーカイブ
  29. ^ Mark Bowman / MLB.com 「シリーズMVPのホリデイ「この賞を25等分したい」」 『MAJOR.JP』、2007年10月16日。2007年12月26日閲覧。(2007年10月18日時点のアーカイブ

関連項目

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、マット・ホリデイに関連するカテゴリがあります。

  • 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
  • Matt Holliday stats MiLB.com (英語)
 
業績
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
ナショナルリーグ打点王
1870年代
1880年代
1890年代
1900年代
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
ナショナルリーグ首位打者
1870年代
1880年代
1890年代
1900年代
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
  • 投手
  • 捕手
  • 一塁手
  • 二塁手
  • 三塁手
  • 遊撃手
セントルイス・カージナルス 2011年のワールドシリーズ ロースター
   

監督
10 トニー・ラルーサ

コーチ
11 ホセ・オケンドー(三塁)
18 デーブ・ダンカン(投手)
25 マーク・マグワイア(打撃)
36 デレク・リリクイスト(ブルペン)
39 デーブ・マッケイ(一塁)
49 ジョー・ペティーニ(ベンチ)

アメリカ合衆国の旗 野球アメリカ合衆国代表 - 2006 ワールド・ベースボール・クラシック
監督
コーチ
投手
捕手
内野手
外野手
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