スルピキウス氏族

スルピキウス氏族 (ラテン語: Gens Sulpicia) は、古代ローマ氏族のひとつ。紀元前5世紀パトリキのカメリヌス家が興隆した他、枝族が多く執政官を輩出している。特にガルバ家は皇帝ガルバを出した。

パウルス・モレールス画、カプート城の最初のローマ皇帝12人シリーズより『ガルバ』

メンバー

紀元前13年にガイウス・スルピキウス・プラトリヌスによって鋳造されたデナリウス銀貨。アウグストゥスアグリッパの横顔が刻まれている

カメリヌス家

ロングス家

ルフス家

プラエテクスタトゥス家

  • セルウィウス・スルピキウス・プラエテクスタトゥス紀元前377年、376年、370年、368年の執政武官

ペティクス家

サウェッリオ家

  • プブリウス
    • セルウィウス
      • プブリウス・スルピキウス・サウェッリオ紀元前304年の執政官
        • プブリウス・スルピキウス・サウェッリオ紀元前279年の執政官

パテルクルス家

ピエトロ・ディ・フランチェスコ・デリ・オリオリ画、『スルピキア』(1493年頃)、ウォルターズ美術館所蔵

ガルス家

  • セルウィウス
    • ガイウス
      • ガイウス・スルピキウス・ガッルス紀元前243年の執政官
  • ガイウス (紀元前243年の執政官?)
    • ガイウス(紀元前211年の法務官)
      • ガイウス・スルピキウス・ガッルス紀元前166年の執政官

ガルバ家

スエトニウスによると、ガルバというコグノーメンの由来ははっきりしておらず、火攻めの際に使用した脂の名前「ガルバヌム」、いつもしていた羊毛の包帯に塗っていた薬「ガルベウム」、太っていたためガリア人に「ガルバ(太鼓腹)」と呼ばれた、それとは逆に「ガルバ」という虫のように痩せていた、など諸説あるという[5]

その他

ローマサラリア門にある詩人クィントゥス・マキシムスの記念碑

脚注

  1. ^ Broughton, Vol.2 p.41.
  2. ^ Broughton, Vol.2 p.358.
  3. ^ Broughton, Vol.2 p.240.
  4. ^ プリニウス『博物誌』7.35
  5. ^ a b c スエトニウス, ガルバ.3.
  6. ^ Broughton, Vol.1 p.522.
  7. ^ Broughton, Vol.2 p.21,28.
  8. ^ リウィウス, ペリオカエ.76.
  9. ^ プルタルコス『対比列伝』スッラ,17.7
  10. ^ Broughton, Vol.2 p.453.
  11. ^ Broughton, Vol.1 p.417.
  12. ^ Broughton, Vol.2 p.152.
  13. ^ Broughton, Vol.2 p.85.
  14. ^ a b Broughton, Vol.2 p.465.
  15. ^ Broughton, Vol.2 p.452.
  16. ^ Broughton, Vol.2 p.167.
  17. ^ Broughton, Vol.2 p.497.

参考文献

  • T. R. S. Broughton (1951, 1986). The Magistrates of the Roman Republic Vol.1-3. American Philological Association 
  • ガイウス・スエトニウス・トランクィッルス 著、国原吉之助 訳『ローマ皇帝伝 上下』岩波文庫、1986年。 
  • "A Portrait of the Poet as a Young Man" (English). 2018. Oxford Scholarship Onlineより2020年8月11日閲覧
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